縄文時代、弥生時代、古墳時代、飛鳥時代、平安時代など日本古代史の出来事と検討課題の考察を行う。考古学の成果も取り入れ、事実に基づき、合理的な歴史の再構築を図る。

タグ検索で飛鳥時代80件見つかりました。

前の20件  1  2  3  4  次の20件

''茎''(なかご)は把を装着する部分である。 *概要 刀身の柄に被われる部分である。刀を持つときに直接触ることが許された部分である。茎には製作者の名前が刻まれることがあり、これを銘(めい)と呼ぶ。 *茎の種類 茎の種類は、大きく分けると「生ぶ」と「磨上げ」の2つである。茎と茎尻(なかごじり)は、製作の時代や流派など刀工の個性や違いが顕著に表わされる部分である。…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%b7%d4... - 2023年03月17日更新

''鋒''(きっさき)は刀の先端部である。 *概要 切先、鋩先ともいう。刃物の先のとがった所である。…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%cb%af... - 2023年03月17日更新

中原高句麗碑

''中原高句麗碑''(ちゅうげんこうくりひ,중원 고구려비)は朝鮮半島で発見された高句麗碑である。 「忠州高句麗碑」ともいう。 *概要 1978年に大韓民国忠清北道中原郡(現在の忠州市。1995年改称)中央塔面龍田里で発見された碑石 忠州高句麗雨は1979年2月末、、檀国大学博物館学術調査団によって発見された。 発見された当時の行政区域は中原郡でああったため中原高句麗費と命名された。その後、中原郡が忠州市に統合されたため、…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%c3%e6%b8%b6%b9... - 2023年03月15日更新

市大樹

**共著 -市大樹(2019)「躍動する飛鳥時代の都」(『古代の都: なぜ都は動いたのか』)岩波書店 -市大樹(2019)「日唐比較交通論」『古代の都城と交通』竹林舎 -市大樹(2014)「都の中の文字文化」(『古代日本と古代朝鮮の文字文化交流』)大修館書店 -市大樹(2014)「大化改新と改革の実像」(『岩波講座日本歴史2 古代2』)岩波書店 -市大樹(2014)「過所木簡に関する一試論」『続日本紀と古代社会』塙書房 *参考文献 …

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%bb%d4%c2%e7%bc... - 2023年03月10日更新

山ノ上碑

''山ノ上碑''(やまのうえのひ)は群馬県高崎市山名町にある完全な形で残っているものとしては日本最古の石碑である。 [[金井沢碑]]、[[多胡碑]]と併せて、「上野三碑」といわれる。 *概要 石をあまり加工しないで使っている点で、[[新羅]]の石碑(6世紀)に類似する。碑は高さ111センチの輝石安山岩の自然石である。 *大意 放光寺の長利という僧が母のために石碑を建てたことと、長利の母方、父方双方の系譜が書かれる。 *碑文 碑文は漢字53字を4行に分けている。文は表面に陰刻される。書体は古い隷書体の…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%bb%b3%a5%ce%be... - 2023年03月08日更新

薄葬令

''薄葬令''(はくそうれい)は646年(大化2年)に定めた墓制である。 *概要 中央豪族の大規模な墳墓を規制する法令である。身分に応じて作ることのできる陵墓のサイズと造営人数を制限した。王以上、上臣、下臣のみが墳丘の造営を認められ、大仁以下小智は墳丘を造営できないこととした。かけてよい造営従事者数は王以上は1000人であるが、これは延べ人数と解されている。7日でのべ1000人なら、1日あたり150人となる。 そのほか、殉死は禁止される。違反すると罪が一族に及ぶとされている。 *趣旨 -(大意) 王たち…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%c7%f6%c1%f2%ce... - 2023年03月05日更新

宇治橋断碑

''宇治橋断碑''(うじばしだんぴ)は京都府宇治市にある古代の架橋碑である。 *概要 1791年(寛政3年)、江戸時代に橘寺の石垣から発見された。大化二年の「大化」年号を記載する現存唯一の金石文である。『帝王編年記』(14世紀後半成立)に碑の全文が収録されている、 碑は道登が橋をかけたとするが、『続日本紀』は道昭とする。『日本霊異記』、『扶桑略記』[3]、『今昔物語集』は道登が架けたとする。しかし、道昭は大化二年には18歳頃であるから、僧侶になっているか分からない頃である。その後に遣唐使の学僧として唐に…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%b1%a7%bc%a3%b6... - 2023年03月01日更新

太安万侶

ろ、? – 723年)は[[飛鳥時代]]から[[奈良時代]]の官人である。 『古事記』を編纂した人物として知られる。 *概要 名は「安麻呂」とも書く。古代の豪族「多(おお)氏」の出身で、安万侶の時代に「多」を「太」に改めた。「太安万侶は伝説上の人物で、実在しなかった」という説が一部にあったが、墓誌の発見で存在が実証された。 *民部卿 『続日本紀』によると、平城京の文官として登用され、705年従五位下となる。715年に従四位下となり、民部卿となった。 *古事記の執筆編纂 711年9月、[[元明…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%c2%c0%b0%c2%cb... - 2023年03月01日更新

藤氏家伝

''藤氏家伝''(とうしかでん)は奈良時代後半に成立した藤原氏の家史である。 *概要 上巻と下巻からなる。[[藤原鎌足]]伝は「大織冠伝」とも言われる。[[藤原不比等]]伝は失われている。上巻は「大師」すなわち太政大臣である[[藤原仲麻呂]]が編纂を主導したとみられる。下巻は華厳宗の学僧である延慶の執筆編集とみられる。延慶は藤原仲麻呂の家僧と想定されている。藤原仲麻呂が祖先の顕彰を目的として編纂したとみられる。 *構成 構成は以下の通りである。 -上巻 --藤原鎌足伝 --貞慧伝 -下巻 --武智麻呂伝…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%c6%a3%bb%e1%b2... - 2023年02月28日更新

奈良文化財研究所

''奈良文化財研究所''(とうきょうとまいぞうぶんかざいせんたー)は独立行政法人国立文化財機構の下部組織で、文化財を総合的に研究するための機関である。 *概要 昭和27年4月に文化財保護委員会の付属機関として奈良文化財研究所を奈良市春日野町50番地に設置した。昭和29年7月に奈良国立文化財研究所と改称した。昭和38年4月に平城宮跡発掘調査部を設置する。昭和43年6月、文化庁が発足したとき、その付属機関となった。昭和45年4月、平城宮跡資料館を開館する。昭和50年3月、奈良県高市郡明日香村奥山に飛鳥資料館…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%c6%e0%ce%c9%ca... - 2023年02月26日更新

押出仏

content_part_id=4]] 飛鳥時代・7世紀 [[東京国立博物館]] -阿弥陀三尊像 - 法隆寺蔵 -[[押出二観音および三如来像>https://emuseum.nich.go.jp/detail?&langId=ja&webView=&content_base_id=100768&content_part_id=6]] - 飛鳥時代・7世紀 東京国立博物館 …

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%b2%a1%bd%d0%ca... - 2023年02月25日更新

稗田阿礼

''稗田阿礼''(ひえだのあれ、7世紀後半 - 8世紀前半)は倭国の舎人である。『[[古事記]]』の編纂者の一人である。 *概要 [[天武天皇]]は阿礼が28歳の時に『帝皇日家継』や『先代旧辞』を暗誦させた。[[元明天皇]]は阿礼が65歳の時、阿礼が没すると古伝が失われることを恐れ、[[太安万侶]]に阿礼の記憶を筆記させた。『古事記』の源流となる。 暗唱させたというのは、以前からの解釈であるが、井上によれば、「誦習は暗誦とは解釈できず、史料の解釈や読み方が分からなくなったので、内容や意味を稗田阿礼に理解…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%c9%a3%c5%c4%b0... - 2023年02月23日更新

物部太媛

の ふとひめ,?-用明2年8月2日)は飛鳥時代の豪族の女性である。父は[[物部尾輿]]【先代旧事本紀 巻第五 天孫本紀】、母は阿佐姫阿佐姫【先代旧事本紀 巻第五 天孫本紀】。物部布都姫とも記す。また御井夫人、石上夫人ともいう。 *概要 『[[日本書紀]]』では蘇我大臣([[蘇我馬子]])の妻は[[物部守屋]]の妹と書かれている(崇峻年七月条)。しかし、ここでは名前を特定していないので、物部太媛が蘇我馬子の妻だったかは分からない。しかし『紀氏家牒』には蘇我大臣の妻は[[物部守屋]]の妹で名は太媛と書かれて…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%ca%aa%c9%f4%c2... - 2023年02月18日更新

蘇我馬子

[[敏達]]から[[推古]]まで活動した飛鳥時代の[[豪族]]である。 「蘇我馬古」、「有明子」、「嶋大臣」、「汙麻古」とも記される。 *概要 [[蘇我稲目]]の子、[[蘇我蝦夷]]の父。飛鳥時代の初期に活躍した政治家・[[豪族]]である。 敏達元年に大臣となる。 敏達、用明、崇峻、推古の4代の大王に渡りヤマト政権の中枢で活動した。仏教を広めるため物部守屋と対立し、これを滅ぼした。 *大臣就任 敏達元年夏四月に百済の大井に宮殿を作り、[[物部守屋]]を元のように大連とし、蘇我馬子を大臣とし…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%c1%c9%b2%e6%c7... - 2023年02月12日更新

標識遺跡

''標識遺跡''(ひょうしきいせき)は[[土器編年表]]において特定の時期を表わすのに適した資料がまとまって出土する遺跡である。 *概要 特定地域の時代区分(石器時代、縄文時代など)を特定する基準となる土器が出土する代表的な遺跡である。 *事例 -土器が出現する時期の石器(本ノ木型)の標識遺跡は新潟県[[本ノ木遺跡]]である。 -[[縄文時代]]早期の明神裏III式土器の標識遺跡は蔵王町の[[明神裏遺跡]]である。 -縄文時代前期の土器(大歳山式)の標識遺跡は[[大歳山遺跡]]である。 -縄文時代中期後…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%c9%b8%bc%b1%b0... - 2023年02月12日更新

尼寺廃寺跡

''尼寺廃寺跡''(あまでらじはいじあと)は奈良県香芝市にある古代の寺院跡である。 *概要 香芝市の北端王寺町との境界に位置する。北廃寺と南廃寺とがある。両伽藍は南北約200m離れている。現在は塔跡以外は平地の水田や畑にされている。般若寺本堂が南廃寺にあるが、ここは創建当初の基壇上に建築された可能性がある。付近に500m以内に[[平野古墳群]]、[[平野窯跡群]]がある。7世紀中期以降に創建されたと考えられている。塔心礎は巨大な地下式心礎であり、塔心礎としては日本最大級の規模になる。 [[蘇我日向]]が…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%c6%f4%bb%fb%c7... - 2023年02月11日更新

蘇我日向

我日向''(そがのひむか、7世紀中頃)は飛鳥時代の古代[[豪族]]である。 「曽我日向子」とも記される。名は「身刺(むさし)」(大化5年)「身狭」「武蔵」「無耶志」。 *概要 [[蘇我馬子]]の孫、[[蘇我倉麻呂]]の子。飛鳥時代に活躍した政治家・豪族である。 親の「蘇我倉」が苗字とすれば、なぜ「蘇我日向」に戻るのであろうか。 *密通事件 皇極三年一月一日条、[[中大兄皇子]]は[[蘇我倉山田麻呂]]の娘と婚約したが、その日の夜に一族の蘇我日向に偸(ぬす)まれたとされる。次女の遠智娘が身代わりとなって皇…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%c1%c9%b2%e6%c6... - 2023年02月11日更新

益田岩船

''益田岩船''(ますだいわふね)は、奈良県橿原市にある巨大石造物である。 「益田の岩船」とも呼ばれる。 *概要 大きさは東西約11m、南北約8m、高さ約4.7m。真上から見ると長方形である。亀石や酒船石などと同様に飛鳥の石造物の1つとされる。巨岩の上面に四角い穴が2つある。上部から側面にかけて幅1.6メートルの溝が東西に掘られる。頂部平坦面の中央には幅約1.6mの浅い溝があり、その中に一辺約1.6m、深さ約1.3mの方形の穴が2つ並んで彫られている。山側の下半部は埋っている。約400m南東に[[牽牛子塚…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%b1%d7%c5%c4%b4... - 2023年02月10日更新

蘇我倉麻呂

'蘇我倉麻呂''(そがのくらまろ)は[[飛鳥時代]]の[[豪族]]である。 「[[蘇我馬子]]」の子とされる。 子に[[蘇我倉石川麻呂]]、[[蘇我連子]]、[[蘇我日向]]、[[蘇我赤兄]]、[[蘇我果安]]。 *概要 蘇我氏の分家である。推古36年3月に推古が崩御したとき、後継者が定まらないため、[[蘇我蝦夷]]大臣は[[阿倍麻呂臣]]と相談し、大王を定めようとして、群臣を大臣邸で饗応し、誰にすべきかと諮った。大伴鯨連は「遺言通りにすべきである」と意見を述べる。采女臣摩禮志・高向臣宇摩・中臣連彌氣・難…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%c1%c9%b2%e6%c1... - 2023年02月10日更新

山尾幸久

''山尾幸久''(やまおゆきひさ、1935年12月10日 – 2021年11月4日)は日本の歴史学者である。専攻は日本古代史。立命館大学名誉教授。 *概要 立命館大学の日本史学専攻は「在野史学」の騎手たる地位を築きあげた。1970年代以降は、山尾幸久(古代史)、三浦圭一(中世史)、衣笠安喜(近世史)などの研究者がこの学風を継承・発展させた。山尾幸久は研究に厳しい教授として知られていた。山尾先生の演習形式の授業を取る大学院生は非常に少なかったという。履修登録期間終了後に、考古学の大学院生が山尾…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%bb%b3%c8%f8%b9... - 2023年02月03日更新

前の20件  1  2  3  4  次の20件

メンバーのみ編集できます