縄文時代、弥生時代、古墳時代、飛鳥時代、平安時代など日本古代史の出来事と検討課題の考察を行う。考古学の成果も取り入れ、事実に基づき、合理的な歴史の再構築を図る。

タグ検索で弥生時代157件見つかりました。

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詩序

''詩序''(しのじょ,Prefaces of Poem by Wng Bo)は、[[正倉院]]に保存されている詩文集の序文である。 *概要 唐代初の詩人であり王勃の文集である。送別、宴会、旅行などで作られた詩や賦の序41編を1巻に収録する。料紙は白、茶、黄、朽葉、赤、緑、縹、鼠などの色染の麻紙30枚を継ぐ。巻末には「慶雲四年(707年)七月廿六日」の書写奥書がある。本文は楷書にまま草体を交えたもので、鋭い筆跡で、変化に富んだ運筆を示す。 文中には、当時制定後間もない則天文字も使用されている。 *材料 …

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%bb%ed%bd%f8... - 2022年05月19日更新

古代の豚

かし家畜化はあまり進行していなかった。 弥生時代になると、渡来人に入り、稲作、豚、犬を食べる習慣が大陸から導入された。弥生豚は中国南部の遺跡に多い小柄のタイプが多い。 播磨国風土記(霊亀元年)の賀毛郡に『猪養野 右、猪飼と號くるは、難波の宮に御字しめしし天皇のみ世、日向の肥人、朝戸君、天照大神の坐せる舟の於に、猪を持ち参来て、進りき。 飼ふべき所を、求め申し仰ぎぎ。仍りて、此処を賜はりて、猪を放ち飼ひき。故、猪飼野といふ』とある。 飛鳥時代頃に大王へ献上する猪の飼養を職とした部民「猪飼部」があった。 …

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古代の動物

し)と魏志倭人伝には書かれている。しかし弥生時代の遺跡から牛の骨が出土するので、牛がいた証拠はある。 -「好捕魚鰒」(魚鰒を捕るを好み)とある「魚鰒」はあわびのことである。 -「倭水人好沈没捕魚蛤 文身亦以厭大魚水禽」(倭人は好んで水に潜り魚やアワビを獲る。入れ墨は鮫や水鳥の被害を避けるためである)と書かれる。蛤、水禽は水鳥、大魚は鮫のことのようである。 -「有薑橘椒襄荷 不知以為滋味 有獮猴黒雉」(薑、橘、椒、襄荷あるも、以って滋味を為すを知らず。獮猴、黒雉あり)と書かれてい…

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古代の鹿

の[[甲田南遺跡]]から鹿の絵が刻まれた弥生時代の土器片が見つかっている。古代の土器に最も多く登場する動物は鹿である。古代中国では、鹿は神の乗り物とされていたし、奈良の春日大社や広島の厳島(いつくしま)神社では神鹿(しんろく)と呼ばれ、神の使いとされている。…

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カラカミ遺跡

せき)は[[長崎県]]壱岐市勝本町にある弥生時代の遺跡である。 *概要 勝本は壱岐市の北にある。カラカミ神社を中心として、標高30〜90mの山頂や傾斜面の田畑にある。弥生中期から後期にかけての遺跡である。[[原の辻遺跡]]よりも後の時代に始まる[[環濠集落]]である。刈田院川上流にある標高80mほどの丘陵に位置する。南北約500m、東西約90mの扇形にひろがる環濠集落である。一支国の王都である[[原の辻遺跡]]より北西に約5キロメートルの場所に位置する。標高70メートル前後の丘陵頂部を中心に集落が形成さ…

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天理参考館

''天理参考館''(てんりさんこうかん)は奈良県天理市にある民俗学・考古学系の博物館である。 正式名称は天理大学附属天理参考館である。 *概要 館内は地上3階建て、地下1階の4階層にわたり、1階・2階に「世界の生活文化」コーナー、3階に「世界の考古美術」コーナーがそれぞれ設けられている。 展示されている物品には文字通り世界各国から集められたものが多くを占め、そのコレクションはアイヌ文化からインド、ボルネオ、パプアニューギニアにまで至る。これら常設展の他に、企画展・スポット展を定期的に開催する。 *主な…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%c5%b7%cd%fd%bb... - 2022年05月08日更新

スダレ遺跡

re Site)は福岡県飯塚市にある[[弥生時代]]の遺跡である。 *概要 1975年に、採土工事中に甕棺と人骨が発見されたため、1975年8月から10月まで穂波町教育委員会による発掘調査が行われた。調査の結果、土坑墓17基・木棺墓32基・土坑墓か木棺墓か不明なもの6基・甕棺15基の合計70基が検出された。報告書は、1976年に穂波町教育委員会より穂波町文化財調査報告書第1集『スダレ遺跡』として出版された。弥生時代前期の集落に住居と貯蔵穴が作られ、中期初頭から中頃にかけて墓地に土壙墓、木棺墓、甕棺墓が作…

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古代の製鉄

滓が発見された(参考文献3,4)。 **弥生時代 弥生時代前期には[[斉藤山貝塚]](熊本県玉名市)で鉄斧が出土した。そのほか[[山の神遺跡]](山口県)から一字形鋤先は松井によれば、中国戦国時代の鋤先という。[[高橋貝塚]](鹿児島県南さつま市)の鉄片、[[中山貝塚]](広島市)の刀子が出土している。 弥生時代初期の鉄器は朝鮮半島からの舶載品であった。しかし、日本列島内で鍛冶工程が行われるようになる。弥生時代後期に木製の鍬や鋤の刃先が生産された。弥生時代の[[吉野ヶ里遺跡]]では刀子、袋状鉄斧、鋳造鉄斧…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%b8%c5%c2%e5%a4... - 2022年05月08日更新

銅剣

銅製の剣である。 *概要 日本には[[弥生時代]]に朝鮮半島製の短剣が入った。当初は実用武器として使用したが、しだいに実用を離れて祭祀・儀式用となっていった。 *形態 形態的としては細形銅剣・中細形銅剣・平形銅剣がある。細形銅剣は中国製、中細形銅剣・平形銅剣は国産である。主として瀬戸内海中部から発見される。 *出土例 -伝香川県善通寺市出土 --平形銅剣で身は薄く、刃は研ぎだされていないなど実用性は失われ、わずかに茎や樋に痕跡が残る。 -[[荒神谷遺跡]] --昭和59年、谷あいの斜面の発掘調査で358…

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伊都国歴史博物館

''伊都国歴史博物館''は岡県糸島市内の遺跡等から出土した、数多くの文化財を収蔵・展示している歴史博物館である。 *概要 平成18年6月に[[国宝]]に指定された国史跡平原遺跡出土品を含む。新館3階「王墓の部屋」(国宝)展示室は青銅鏡40面・鉄刀・瑪瑙管玉・ピアス、「[[三雲南小路遺跡]]」出土の甕棺・木棺外壁に張られた飾り金具・璧など。平原王墓から出土した[[内行花文鏡]]は国内最大。 -名称 伊都国歴史博物館 -休館日:毎週月曜日(月曜祝日の場合は翌平日が休館) -利用時間:9時から17時 -入館料…

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造山古墳

''造山古墳''(つくりやまこふん)は[[岡山県]] 岡山市にある全国第4位の規模となる[[前方後円墳]]である。「造山古墳(ぞうざんこふん)」とも呼ばれる。 *概要 独立丘陵を加工して築造したと推定されている。墳丘は3段築成である。平面積約7.8ha。水を湛える周濠は無かったと判断される。吉備地方においてそれ以前のものとは規模と形態が大きく異なる。古墳の築造時には最大規模であったと考えられている。通説では大和(中央)政権に対抗した吉備地域地方政権の大首長とされているが、大和政権と対抗していたとの説もあ…

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四隅突出墳

日本海沿岸の島根県から富山県に及ぶ地域の弥生時代終末期から古墳発生期に出現する墓制である。丘陵の尾根、台地の縁辺部に立地し、自然の地山を削り出し、あるいは一部に盛土を施し、方形の墳墓を築造する。20数基が確認されている。1辺20m前後である。突出部を含めると1辺29m近い事例がある。裾に石列や石垣状の施設を巡らせるものがある。また斜面に平石を張ることがある。 *参考文献 +大塚初重・小林三郎(1996)『古墳事典』東京堂出版…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%bb%cd%b6%f9%c6... - 2022年05月05日更新

甲田南遺跡

うだみなみいせき)は大阪府富田林市にある弥生時代の遺跡である。 *概要 1975年の都市下水路築造工事の際に発見された。近鉄川西駅の南東に広がる。旧国道170号線から石川までの間に環濠をもつ弥生時代中ごろの集落と墓があった。古墳時代の終わりごろから奈良時代には旧国道170号線付近の遺跡の西側に集落が移動し、鎌倉時代になると更に西側に集落が移動した。 *発掘調査の歴史 発掘調査は平成3年8月に第一次調査、平成5年3月に第二次調査を行った。古墳時代から鎌倉時代にかけての溝や掘立柱建物などがみつかった。 *…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%b9%c3%c5%c4%c6... - 2022年05月05日更新

壱岐市立一支国博物館

分 *展示 -瓦質土器(がしつどき)〔弥生時代〕 【国指定重要文化財】 朝鮮半島の国で製作されていた土器 -権(けん)【日本最古】〔弥生時代〕 【国指定重要文化財】 -貨泉(かせん)〔弥生時代〕 【国指定重要文化財】 -車馬具(しゃばぐ) 【日本最古】〔弥生時代〕 【国指定重要文化財】 -三翼鏃(さんよくぞく) 【日本最古】〔弥生時代〕 【国指定重要文化財】 -とんぼ玉【日本最古】〔弥生時代〕 【国指定重要文化財】 -双六古墳出土品(古墳時代) -金銅製単鳳[[環頭大刀]]柄頭〔たんほうかんとうたちつか…

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奈良県立橿原考古学研究所

''奈良県立橿原考古学研究所''(たかまつづかこふん, Takamatsuzuka Tumulus)は奈良県内の埋蔵文化財の調査と研究を行い、その成果を広く公開・活用するための活動を行う[[奈良県]][[橿原市]]にある研究機関である。 *概要 日本で最も古い公的考古学研究所である。主として奈良県内の遺跡発掘調査を手がけ、初期の[[纒向遺跡]]、[[ホケノ山古墳]]、[[黒塚古墳]]、[[桜井茶臼山古墳]]、[[メスリ山古墳]]、[[藤ノ木古墳]]、[[高松塚古墳]]など有名な古墳や、飛鳥京跡や[[東大…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%c6%e0%ce%c9%b8... - 2022年05月04日更新

家形埴輪

''家形埴輪''(いえがたはにわ)は家の形状を立体的に表した[[埴輪]]である。[[形象埴輪]]のひとつである。 *概要 埴輪は屋根の形状から建築様式が分かる。切妻形、寄棟型、入母屋造りが4世紀にすでにみられる。古墳時代の全期間を通じて、家形埴輪は形象埴輪の中心部に置かれた埴輪であった。三重県[[石山古墳]](4世紀末)では、墳丘の中心部に家形埴輪を設置し、その周囲を盾や円筒の埴輪を並べていた。家形埴輪は古代豪族の住んだ家を表したものであった。 *家の階数 家の階数は平屋式のものと高床式とがあり、二階部…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%b2%c8%b7%c1%be... - 2022年05月01日更新

円形周溝墓

墓の周囲に浅い溝を巡らす墳墓である。[[弥生時代]]から[[古墳時代]]に作られた。 *概要 盛り土による高い墳丘を持たない。周囲の周溝の幅は1m前後で深さは50cm前後である。円形の径は5mから6m前後である。周溝内から土器が出土する。副葬品は古墳に比べると質と量で劣る。…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%b1%df%b7%c1%bc... - 2022年04月30日更新

那珂遺跡群

''那珂遺跡群''(なかいせきぐん)は福岡県福岡市博多区にある遺跡群である。 *概要 旧石器時代から戦国時代まで長期に渡る人が定住した集落群。那珂川と御笠川の間にある。博多駅と竹下駅の間。阿蘇山噴火の堆積物である八女粘土・鳥栖ローム層に覆われている。 [[比恵遺跡]]、[[那珂遺跡]]、[[板付遺跡]]、[[須玖岡本遺跡]]、[[那珂八幡古墳]](市指定史跡)などが含まれる。 *飛鳥時代 飛鳥時代(7 世紀)の溝は、東西約 90m、南北約 115mを長方形に囲む区画溝の一画にある。 *所在地 -住所:…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%c6%e1%b2%d1%b0... - 2022年04月09日更新

池上曽根遺跡

[[大阪府]]にある池上曽根遺跡は、[[弥生時代]]の環濠集落である。弥生時代の全期間(2300〜1800年前)を通じて営まれた、近畿地方を代表する大規模弥生環濠集落遺跡である。 *概要 大阪府和泉市池上町、泉大津市曽根町に渡っており、大阪府南部の和泉山地北側の扇状地から沖積地に移行する直前の端に位置している。弥生時代中期後半の遺跡としては最大規模である。 竪穴住居や掘立柱建物などからなる居住区と方形周溝墓と呼ばれる一般層の墓があり、その周辺部を何重もの濠をめぐらせた環濠集落である。わが国屈指の[[環濠…

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末永雅雄

''末永雅雄''(すえながまさお,1896年6月23日 - 1991年5月7日)は日本の考古学者である。橿原考古学研究所の初代所長である。関西大学名誉教授。 *概要 1898年(明治30)年6月23日、大阪府大阪狭山市に生まれる。狭山尋常小学校を卒業後、水戸学の系統をひく史学を学び、高瀬真卿の書生となって刀剣鑑定術や歴史を学ぶ。1917年(大正6年)、大阪の騎兵第四連隊第三中隊に入隊する。1926年(大正15年)より京都帝国大学文学部考古学教室で「日本考古学の父」とされる浜田耕作の指導を受け、1934年…

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