縄文時代、弥生時代、古墳時代、飛鳥時代、平安時代など日本古代史の出来事と検討課題の考察を行う。考古学の成果も取り入れ、事実に基づき、合理的な歴史の再構築を図る。

タグ検索で古墳時代272件見つかりました。

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ホケノ山古墳

棺直葬の埋葬施設。後円部は3段築成。[[古墳時代]]前期の大規模集落の[[纒向遺跡]]から南東端に位置する。被葬者は不明である。全面に[[葺石]]で覆われ、3 段築成、周壕があり、サークル状杭列が前方部にある。中心主体部は、後円部中央に南北主軸で設けられた「石囲い木槨」である。「石囲い木槨」はわが国で初めて確認された構造の埋葬施設で、木材で構成した木槨部分と、その周囲に石を積み上げて構築した石囲部分の二重溝造となっている。 木槨内部には、長さ約5m、幅1m内外のコウヤマキ製の長大な刳抜式木棺をおさめる。バ…

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帯方郡

''帯方郡''(たいほうぐん)は、中国の漢帝国が朝鮮半島に設置した古代中国の直轄地の一つである。 *概要 後漢末期の混乱期に遼東地方は台頭してきた公孫氏の支配下となり、楽浪郡は公孫氏の支配下に入った。公孫氏は3世紀の初頭、屯有県以南を分ち新たに郡を設置した。楽浪郡の南部の荒れ地を分離して「帯方郡」を置いた。公孫氏は238年魏に滅ぼされ、帯方郡は魏の支配下となった。314年に帯方郡は高句麗により滅ぼされた。 *公孫氏 中国東北部の遼東太守となった公孫度は、南半分を支配し帯方郡とした。238年に魏の太尉・司…

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女帝

'''女帝'''(じょてい、にょてい、にょたい)は女性の[[天皇]]あるいは女性の[[大王]]・[[皇帝]]である。 *概要 日本では、近年「女性天皇」という用語が多用されている。「女帝」と「女性天皇」は同じと言えるが、歴史的な意味合いは異なっている。「女性天皇」と「女系天皇」とは異なると解釈されている。 なお「天皇号」は天武以降の名称であり、それ以前は「大王」であったが、本稿では混乱と煩雑を避けるため「天皇」で統一する。 *歴代女帝のリスト 以下のリストの配偶者は即位前の配偶者である。神功皇后と飯豊…

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有棺無槨

''有棺無槨''(ゆうかんむかく)は[[魏志倭人伝]]に書かれた埋葬の方法である。 *概要 [[魏志倭人伝]]に倭人が亡くなると棺に収め、槨は作らず封土(盛り土)で冢(ちょう)を作る、と書かれている。 -(原文)其死 有棺無槨 封土作冢 これを有棺無槨という。魏志倭人伝の記述は[[箸墓古墳]]ではないと邪馬台国近畿説を否定する根拠の一つに上げられるのがこの「棺あって槨なし」である。 「棺あって槨なし」は北九州の墳墓に見られる慣習と言われ、近畿の古墳では「棺と槨があるとされる」。 しかしこれは2つの点で解…

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宮崎県立西都原考古博物館

予兆 --水稲耕作の拡大と定着 -列島の古墳時代 --古墳時代全体をとらえるには、古墳の分布や形態の変遷だけはなく、内外の政治状況を列島からさらに東アジアレベルで考えていく必要がある。 -男狭穂塚・女狭穂塚模型 --南九州の古墳文化の頂点であり、西都原古墳群の中心的存在である。 -地下式横穴墓〜重ならない玄室 --古墳時代の南九州のみに分布する特異な墓制である地下式横穴墓 -4号地下式横穴墓 --西都原4号地下式横穴墓の原寸大模型 -隼人の世界 --律令国家の枠組み強化の中で反乱を起こした辺境の民、隼人。…

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西都原古墳群

''西都原古墳群''(さいとばるこふんぐん)は佐賀県唐津市に所在する3世紀末から4世紀の329基の古墳群である。 *概要 西都市街地の西の通称「西都原台地」とその周辺の中間台地や沖積地にある。範囲は南北4.2km・東西2.6kmに及んでいる。 *調査 1912年(大正元年)から1917年(大正6年)にかけて日本で初めて本格的学術調査が行われた。 *規模 **西都原1号墳 -形状 前方後円 -墳長 52m -後円部 径31m 高4.4m -前方部 幅25m 長23m 高3.3m **西都原13号墳 -形状…

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宮崎県立西都原考古博物

の予兆 水稲耕作の拡大と定着 **列島の古墳時代 古墳時代全体をとらえるには、古墳の分布や形態の変遷だけはなく、内外の政治状況を列島からさらに東アジアレベルで考えていく必要がある。 **男狭穂塚・女狭穂塚模型 南九州の古墳文化の頂点であり、西都原古墳群の中心的存在である。 **地下式横穴墓〜重ならない玄室 古墳時代の南九州のみに分布する特異な墓制である地下式横穴墓 **4号地下式横穴墓 西都原4号地下式横穴墓の原寸大模型 **隼人の世界 律令国家の枠組み強化の中で反乱を起こした辺境の民、隼人。服属後、宮廷…

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船塚古墳

ん)は佐賀県佐賀市に所在する5世紀中頃(古墳時代中期)の[[前方後円墳]]である。「今山船塚古墳」とも言われる。 *概要 佐賀県では最大規模の古墳である。脊振山地南麓のゆるやかな傾斜地にあり、南北方向を主軸とし、前方部を南方に向ける。西側くびれ部前方部寄りに造出がある。[[周濠]]は楯形である。墳丘上には葺石がみられ、後円部頂から家型埴輪が出土する。墳丘北側では陪塚7基(かつては11基)の築造が知られる。墳丘は3段築成で、周囲に幅12〜18メートルの周濠が巡る。これらの形態は古墳中期の特色である。遺物は…

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総社愛宕山古墳

''総社愛宕山古墳''(まえばしあたごやまこふん)は群馬県前橋市に所在する7世紀前半の[[方墳]]である。「愛宕山古墳」、「総社町10号古墳」とも呼ばれるが、同名の古墳は多数あるため、地名で区別している。 *概要 榛名山から東南方向に広がる裾野の末端に位置し、現利根川の西岸南北4kmに位置する。 周濠がある。石室は墳丘の南側に開口する。家形石棺が置かれる。墳丘に埴輪は立てられていなかった。周堀は約18m、葺石あり、埴輪列なし。 7世紀初頭を最後にして、前方後円墳の築造は全国で停止された。7世紀の群馬県で…

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古墳

に突出部があり、全長80mである。 *古墳時代 [[前方後円墳]]が登場する三世紀半ば以降を「古墳時代」とする考えが主流とされる(参考文献1)。古墳時代は約400年間続いた。最初期の前方後円墳は「[[箸墓古墳]]」である。墓による身分の序列化が広域化した時期とされる。[[前方後円墳]]、[[前方後方墳]]、[[円墳]]、[[方墳]]と形と大きさにより政治的身分が表された。 前方後円墳の被葬者は地域の首長をとりまとめる大首長である。最大級の古墳は前方後円墳である。古墳時代の前半部は、[[魏志倭人伝]]に…

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椿井大塚山古墳

かやまこふん)は京都府木津川市に所在する古墳時代前期(三世紀後半)のなかでも最古に位置づけられる[[前方後円墳]]である。 *概要 木津川を望む段丘上に立地する古墳時代前期初頭の前方後円墳である。昭和28年、古墳の後円部を南北に走る国鉄奈良線(現JR奈良線)の法面拡幅工事が行われた際に、偶然に竪穴式石室が発見された。その後の発掘調査により石室内から、邪馬台国の女王卑弥呼の鏡とも呼ばれる「三角縁神獣鏡」三十数面を含む四十面近い銅鏡や多くの副葬品が出土し、全国的に大きな注目集めた。後円部は四段からなり、最下…

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浦間茶臼山古墳

。 *築造時期 3世紀末〜4世紀前半(古墳時代前期初) *指定 -1973年昭和49年(1974年)11月25日 国指定史跡 *アクセス等 -名称:浦間茶臼山古墳 -所在地:〒709-0607 岡山県岡山市東区浦間浅川 -交通: 岡山表町発「寒河」行き宇野バスに乗り「山の端」下車。バス停留所辺りから北方に大型の前方後円墳が望観される。 *参考文献 +肥後和男・竹石健二(1973)「日本古墳100選」秋田書店 +大塚初重(1996)『古墳辞典』東京堂出版 +安川満(2014)「浦間茶臼山古墳と古墳の出現…

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大西妙見山古墳

けんざんこふん)は愛媛県今治市に所在する古墳時代前期の[[前方後円墳]]である。 *概要 尊真親王稜墓参考地の東方約30mの地点の丘にある。明治36年3月に同地の畑の所有者新居田良吉が麦畑作業をしていて偶然掘り出した。地下約50センチメートルの所に青石製臥棺縦約75センチ、横60センチの中に、朱および辰砂で密閉され仰向けに安臥した人骨が納められていた。骨格の大きさから子供と推察される。副葬品は平面丸形銅鏡1個、鉄製短剣らしきもの一口であった。妙見山は、標高80mで、眼下に大西町の主要部の平野・集落・来島…

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投馬国

''投馬国''(とうまこく、つまこく)は、『[[魏志倭人伝]]』に記載された倭国の国のひとつである。邪馬台国の九州説と近畿説とで、比定場所が異なる。 *概要 魏志倭人伝では不彌國から投馬国まで「水行20日」を要すると書かれている。投馬国から邪馬台国までは「水行十日 陸行一月」とする。水行とは海岸を伝いに船で移動することをいい、陸行と対比される。渡海は海岸の見えない海を渡ることを意味する。 *行程 -(大意)(不弥国から)南に水行二十日で投馬国に至る。官を弥弥と言い、副を弥弥那利と言う。五万余戸ある。 -(…

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五塚原古墳

要 向日丘陵南部の尾根上に位置する。[[古墳時代]]前期初頭の前方後円墳で、京都府で最古級の古墳である。 前方部が途中から撥型に大きく開いている。[[箸墓古墳]]と共通の段築構造が確認される。 後円部が三段築成、前方部が二段築成で、全体に葺石がある。京都府向日市は2019年5月20日、「五塚原古墳」と「[[寺戸大塚古墳]]」(共に同市寺戸町芝山)を調査・活用するため、市有地として買い上げると発表した。 *調査 *規模 -全長約94m、 -後円部 径55m、高さ約8.5m、 -前方部 長約41m、幅36m…

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石塚山古墳

''石塚山古墳''(いしづかやまこふん)は福岡県京都郡苅田町に所在する4世紀初頭の[[前方後円墳]]である。 *概要 周防灘を望む緩斜面に築造されている前方後円墳である。九州最大最古の定型化した典型的な畿内型前方後円墳となっている。墳丘は前方部は2段、後円部は3段である。墳丘は全面に[[葺石]]が施される。各稜線には水みちが設けられる。墳丘下に3条の暗渠が北から南に走り、西側の暗渠は墳裾から南に3mの地点で東に延びる。 前方部は墳丘上にある神社建立時に上面が削平されている。墳丘には葺石が見られるが、埴輪…

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柳本天神山古墳

''柳本天神山古墳''(やなぎもとてんじんやまこふん)は奈良県天理市柳本町にある4世紀後半の[[前方後円墳]]である。別名は「大和天神山古墳」 *概要 山麓に立地し、前方部が南向きである。人物の埋葬は無く、遺物のみを葬った古墳として最大規模である。大和盆地東辺に立地する柳本古墳群の中の1つ。天神山古墳は遺体を埋納した形跡がなく、すぐ東に崇神天皇陵があり、同陵の遺物のみを埋納した陪塚とも考えられている。 *調査 1960年に国道の敷設に伴う発掘調査が行われた。主軸長113m、後円部径55m、高さ7m、前…

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メスリ山古墳

有力首長の墓 -築造時期: 4世紀後半(古墳時代前期) -全長:224m -後円部直径:128m -後円部高さ:19m -前方部幅:約80m -前方部高さ:約8m -所在地: 奈良県桜井市高田100 -交通:JR桜井駅・近鉄桜井駅から奈良交通バス談山神社行きで8分、バス停:浅古下車、徒歩15分 *参考文献 +大塚初重(2019)『巨大古墳の歩き方』宝島社 +大塚初重(1996)『古墳事典』東京堂出版 +伊達宗康・小島俊次(1977)『メスリ山古墳』奈良県教育委員会 …

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桜井茶臼山古墳

''桜井茶臼山古墳''(さくらいちゃうすやまこふん)は[[奈良県]]桜井市に所在する[[前方後円墳]]である。 *概要 全長200mの初期ヤマト政権の大王クラスの前方後円墳である。鳥見山の北山麓の小尾根の先端にある。 *調査 1949年に最初の発掘調査が行われた。昭和24年の秋と翌25年の夏に発掘調査では、尾根の末端を切断して築造された古墳と判明した。墳丘は、後円部3段、前方部2段に築造されている。埴輪は使用されていないが、後円部頂には方形段を取り巻く土師器壷列がある。 *出土 石室の中はすべて、天…

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版築

''版築''(はんちく)は土や砂をつき固める技術である。 *概要 土台とする場所に板枠の中に土を入れて突き固め、突棒という重くて細長い棒でつき固め、その作業を繰り返し、層を重ねて作る。 砂と粘土とを交互に層状にして突き固める工法である。 版築は古代中国で発明され、6世紀の終わり頃に日本に伝わった。 城壁や建築物の基壇、土塀の構築などに用いる。 「万里の長城」は版築技法で作られ、「法隆寺」の築地塀も版築である。阿房宮基壇遺跡の版築の1層の厚さは、8〜10cmである。 *語義 「版」は木の板で造られる枠であ…

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