縄文時代、弥生時代、古墳時代、飛鳥時代、平安時代など日本古代史の出来事と検討課題の考察を行う。考古学の成果も取り入れ、事実に基づき、合理的な歴史の再構築を図る。

タグ検索で弥生時代157件見つかりました。

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帯金具

''帯金具''(おびかなぐ)は、帯(革製など)に取り付けられた金具である。 *概要 中国北方で活動した騎馬民族はツーピースの胡服を着て、上着の腰にベルトを締めていたた。文様で飾った骨製や金属製の板を帯留に使い、それらは西方の諸民族が用いた服飾品と共通している。黄河流域の中原地方では春秋時代から戦闘服として胡服が広く採用され、帯鉤という中国独特の帯金具が発達した。 透彫り文様が施され、竜、虎、鳳凰、唐草文などがある。朝鮮半島の新羅では、唐草文の帯金具が主流であるが、中国の帯金具からの影響を受けた竜文透彫り…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%c2%d3%b6%e2%b6... - 2023年01月03日更新

海の道むなかた館

''海の道むなかた館''(うみのみちむなかたかん)は福岡県宗像市にある、世界遺産「沖ノ島」宗像と関連遺産群のガイダンス施設である。 *概要 平成22年(2010年)7月に宗像市郷土文化学習交流施設基本構想・基本計画を策定し、平成24年4月28日に開館した。館長は西谷正氏である。世界遺産解説コーナーと常設展示室がある。世界遺産解説コーナーでは世界遺産「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群を解説する。展示構成は【ヒトの来た道】、【稲作が渡った道】、【最先端技術が渡った道】、【半島・大陸との交流の道】、【拡大す…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%b3%a4%a4%ce%c6... - 2023年01月02日更新

楽浪郡

''楽浪郡''(らくろうぐん)は、中国の漢帝国が朝鮮半島に設置した古代中国の直轄地の一つである。紀元前108年から紀元313年まで朝鮮半島の中西部に置かれていた。 *概要 漢の武帝は衛氏朝鮮を滅ぼして、紀元前108年に漢四郡、すなわち真番郡、臨屯郡、玄菟郡、楽浪郡を設置した。漢の東方支配の根拠地となった。伊藤 一彦(2020)は『「郡」とは,古代中国の地方行政制度「郡県制」の上位組織であり,朝廷=中央政府が派遣する太守の支配下にあった』とする。郡は植民地なのか、漢の領土の一部なのかという論争がある。楽浪…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%b3%da%cf%b2%b7... - 2023年01月01日更新

一支国

''一支国''(いきこく)は、『[[魏志倭人伝]]』に記載された3世紀中頃の国のひとつである。 *概要 『魏志倭人伝』には「一大国」と書かれるが、『[[梁書]]』(巻54、諸夷伝・倭)、『[[北史]]』、『[[魏略逸文]]』は「一支国」と書くため、一支国の誤りとみられる。 『古事記』の「伊伎国」、『国造本紀』の「伊吉島」である。対馬国から末廬国に至る道程に存在するため、壱岐島には間違いない。 *王の存在 『魏志倭人伝』に王がいたという記述はないが、考古学の証拠から王はいたと見られている。[[原の辻遺跡]…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%b0%ec%bb%d9%b9... - 2023年01月01日更新

原の辻遺跡

県]]壱岐市の芦辺から石田にまたがる[[弥生時代]]中期から後期、[[古墳時代]]前期にかけての大規模[[環濠集落]]遺跡である。 *概要 3重の濠を巡らせた大規模な環濠集落や祭祀建物跡が確認されている。環濠に囲まれた集落遺跡は21万平方メートルに及ぶ。周辺に広がる墓域や船着き場跡を含めた面積は約100ヘクタールに及ぶ。壕の外西北で見つかった船着き場遺構はアジア最古である。 『[[魏志倭人伝]]』に書かれている「[[一支国]]」の中核的集落に比定する説として特定されている。一支国の長官は卑狗(ひこ)、副…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%b8%b6%a4%ce%c4... - 2022年12月31日更新

狗邪韓国

''狗邪韓国''(くやかんこく)は、『[[魏志倭人伝]]』に記載された3世紀中頃の国のひとつである。[[伽耶]]の中の国の一つである。 *概要 3世紀の朝鮮の弁辰十二国のうちの一つであり、『三国志』韓伝に記載される「弁辰狗邪国」と同じである。後の金海加羅、金官加羅である。帯方郡から対馬国に至る間にある。狗邪韓国は倭と朝鮮半島の帯方郡への通交の中継地となっていた。玄界灘をはさんだ狗邪韓国と末盧国が出入国の窓口であった。 *倭の北岸 倭人伝に「倭の北岸」と記載されたのは、当時において韓人に混じって倭人が住ん…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%b6%e9%bc%d9%b4... - 2022年12月31日更新

塔の首遺跡

対馬北端の長崎県対馬市上対馬町にある[[弥生時代]]後期の墳墓群である。 *概要 対馬市の上古里川の西、比田勝港の北東、西泊湾を望む岬上の丘陵の稜線上に所在する稜線上に存在する箱式石棺群である。箱式石棺内に広形[[銅矛]]を副葬することは、他の遺跡には見られない特徴である。対馬を代表する有力者の埋葬施設である。 *調査 1971年長崎県教育委員会の委嘱で上対馬町教育委員会・長崎県教育委員会・別府大学・長崎大学・九州大学による調査が行われた。第1号石棺はすでに大部分が消滅していた。 第2号石棺は箱式石棺で…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%c5%e3%a4%ce%bc... - 2022年12月30日更新

夜臼遺跡

に位置する[[縄文時代]]終末期から[[弥生時代]]前期の集落跡である。 *概要 立花山の北麓から樹状に伸びる標高10メートル前後の緩い斜面の先端にある。谷をはさんで弥生時代前期から中期の[[立花貝塚]]がある。 *調査 1951年に森貞次郎、杉原荘介により発掘調査された。削平により住居跡は発見されなかったが、袋状竪穴(貯蔵穴)2基や包含層が発見された。一つの貯蔵穴の内部には、マガキ、オキシジミなどからなる混土貝層が充満していた。 *遺構 *遺物 当遺跡出土の縄文晩期の土器は痕文と刻目凸帯を特徴とする土…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%cc%eb%b1%b1%b0... - 2022年12月27日更新

須玖岡本遺跡

Ruins)は福岡県春日市岡本町にある弥生時代の遺跡である。「[[奴国]]の都」の最有力候補地である。 *概要 福岡平野南部の丘陵の先端に位置する。古くから古代の墳墓・遺跡が発見されている。青銅器生産関連の遺物が多くみられる。 2019年の3次、6次調査では掘っ建て柱跡がみつかっている。 *出土 1899年(明治32年)土地所有者の吉本源次郎が家屋建設に支障があるとして、大石を動かしたところ、その下から種々の遺物を発見した。その大石から7間北東の地価に煉瓦の小室を作り遺物を収めた。その後、小屋は失われ…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%bf%dc%b6%ea%b2... - 2022年12月26日更新

三雲・井原遺跡

ins)は[[福岡県]]糸島市にある[[弥生時代]]の遺跡である。 *概要 『魏志倭人伝』に記載される「[[伊都国]]」の中心集落とされる弥生時代の大規模遺跡である。江戸時代末期に発見された甕棺墓遺跡である三雲南小路遺跡を含む。遺跡の面積は約60ヘクタールとも言われ、弥生時代において最大級である。[[魏志倭人伝]]に記される[[伊都国]]の王墓とするのが通説である。 *調査 本格的な調査は昭和49年度の三雲地区圃場整備事業に伴うもので、福岡県教育委員会が実施した。その結果、長らく不明であった三雲南小路…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%bb%b0%b1%c0%a1... - 2022年12月18日更新

三雲南小路遺跡

せき)は、福岡県糸島市井原に位置する[[弥生時代]]の遺跡である。 *概要 北部九州最大規模の弥生時代の墳墓をもつ。墳丘は東西32メートル×南北31メートルの正方形と推定される。[[伊都国]]の王の墓と考えられる。三雲南小路遺跡に並ぶものは[[須玖岡本遺跡]](春日市)以外にはない。三雲南小路遺跡は「[[三雲・井原遺跡]]」の一部である。 出土品の一部は伊都国歴史博物館に展示される。 *調査 江戸時代の文政5年(1822年)2月、三苫清四郎が住宅の土塀を築こうと南小路の畠の土を取ろうとして偶然発見された…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%bb%b0%b1%c0%c6... - 2022年12月18日更新

吉原遺跡

せき)は、和歌山美浜町吉原に位置する[[弥生時代]]から[[平安時代]]の遺跡である。 *概要 紀伊水道を望む海岸砂丘に面する。 2022年12月14日、弥生時代の[[方形周溝墓]]が確認された。長さ8・9メートルの方形周溝墓5基を確認。底部には石が並べられていた。埋葬された人は地域の有力者とみられる。完成当時は墳丘表面に葺石が施されていた可能性があり、これまで近畿南部では確認されていない構造であるとされる。 *調査 ¬昭和62年度、63年度の和歌山県文化財調査センターにより[[弥生時代]]中…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%b5%c8%b8%b6%b0... - 2022年12月17日更新

土器

土器(どき)は粘土に水を加え、こねて均質に仕上げた材料(素地,坏土)を,可塑性を利用して造形し、よく乾燥させてから焼き上げた器である。 *概要 古墳時代の土器には、[[土師器]]と呼ばれる赤茶色の土器と、[[須恵器]]と呼ばれる灰色の土器がある。須恵器を生産開始して以降も土師器は使われ続けた。土師器は主に煮炊きや食器などに使用され、須恵器は貯蔵や供膳などに使われていた。用途によりそれぞれが使い分けられた。[[土師器]]は700度から800度位の低温で焼いたものである。低温で焼くので、割れやすい。[[須恵…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%c5%da%b4%ef... - 2022年11月29日更新

ノロ

''ノロ''(のろ)は、日本の南方島で公の祀りをつかさどる神主または司祭である。 *概要 沖縄では公の祀りをつかさどるノロ(祝女、沖縄語でヌル)と私的な領域を扱うユタ(巫女)がいる。ノロは御嶽信仰の中核的存在であり(櫻井徳太郎(1979))、他では神主に相当する。 ユタは個人の運勢や吉凶を占い、死んだ人間の霊が乗り移るなどシャーマンの役割を果たす。 ノロは女性司祭者であるから、市民との関りはほとんどない。ノロは世襲制である。親から子に受け継がれる。一般市民はノロについてほとんど知らず、ユタとノロを混同し…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%a5%ce%a5%ed... - 2022年11月21日更新

妻木晩田遺跡

(むきばんだいせき)は、鳥取県にある[[弥生時代]]後期(1〜2世紀)を中心とする大規模な集落遺跡である。国内最大級の弥生時代の集落跡である。 *概要 伯著大山の西北に位置し、孝霊山を背にして平野に面した標高約90〜150mの丘陵地にある。 *調査 平成7年から平成10年にかけて、最初の発掘調査が実施された。弥生時代中期〜古墳時代前期にかけての遺物がみつかり、竪穴住居跡400棟以上、掘立柱建物跡500棟以上。そして、墳丘墓は30基以上を検出した。 *遺構 集落遺跡は丘陵尾根上の複数箇所に分散し、洞ノ原地…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%ba%ca%cc%da%c8... - 2022年11月20日更新

布留遺跡

範囲である。人々が継続的に集落を営むのは弥生時代の末期以降である。標高67mから95mの扇状地に位置する。古墳時代には規模が最も大きくなり、大和王権の軍事部門を司った物部氏の本拠となった。 *調査 1938年、1939年旧天理高等女子学校敷地内の調査で、縄文時代の遺跡が発見され、天理遺跡と名付けられた。1938年以降、県や天理市、埋蔵文化財天理教調査団などが35次にわたって発掘調査を行った。 *遺構 刀剣などの製品は幅10mの川を流れた状態で見つかり、東方に玉類や刀装具などの工房があったと考えられる。布留…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%c9%db%ce%b1%b0... - 2022年11月11日更新

大川遺跡

''大川遺跡''(おおこいせき)は奈良県山辺郡山添村にある[[縄文時代]]早期から後期の遺跡である。 *概要 奈良県の三重県境を流れる名張川の段丘上にあり、東西200m、南北100の範囲にある。 *調査 発掘調査は1957年、1979年、1980年、1981年の4回行われた。早期の住居跡、礫群、焼き土壙、後期の住居跡、土壙などが検出された。 *遺構 遺跡の中央部から縄文時代早期の住居跡2軒のほかに集石炉や焼土壙が確認された。  住居跡は深さ40cm前後でほぼ円形に直径3〜3.8mほど地面を掘り下げ、上屋…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%c2%e7%c0%ee%b0... - 2022年11月10日更新

小阪合遺跡

ざかあいいせき)は大阪府八尾市にある[[弥生時代]]中期から[[中世]]に渡る複合遺跡である。 *概要 八尾市のほぼ中央にあり、長瀬川と玉串川に挟まれる沖積層に位置する。昭和30年に大阪府営住宅建設工事中に、弥生時代から鎌倉時代にかけての遺物が多量に見つかったことから遺跡が発見された。奈良時代から平安時代にかけての河川跡から和同開弥をはじめとする皇朝銭約70枚のほか、墨書土器、瓦、石製品など多数の遺物とともに牛や馬の遺体が出土された。 *調査 1988年(昭和59年)の第4次調査では土師器の壺、高坏、…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%be%ae%ba%e5%b9... - 2022年11月10日更新

国府遺跡

て本格的な発掘調査が実施された。縄文から弥生時代の土器や石器、3体の人骨を検出した。大正10年にかけて10次に渡る発掘調査が行われた。以前は日本に旧石器時代は存在しなかったと考えられていたが、京都帝国大学の喜田貞吉講師は、国府遺跡から採集された石器の中に、縄文時代より古い旧石器時代の可能性のある石器を見出した。1957年・1958年に再度の発掘調査が行われた。この調査で特徴的な旧石器が確認された。これらの石器は、二上山で採れるサヌカイト使って、横に長い石片(翼状剥片)を連続的にはぎとっていく方法で作られ、…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%b9%f1%c9%dc%b0... - 2022年11月08日更新

国立歴史民俗博物館

--最終氷期、 --縄文時代、 --弥生時代、 --倭の登場、 --古代国家 -第2展示室 中世  --王朝文化、 --東国と西国(12〜15世紀)、 --大名と一揆(15〜16世紀) --民衆の生活と文化(14〜16世紀) --大航海時代のなかの日本(15〜17世紀) --印刷文化(8〜17世紀) -第3展示室 近世 --国際社会のなかの近世日本 --都市の時代 --ひとともののながれ --村からみえる『近代』 --絵図・地図にみる近世 -第4展示室 民俗 -第5展示室 近代 --文明開化 --産業…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%b9%f1%ce%a9%ce... - 2022年11月08日更新

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